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1970年代に起きた複数件のビルや工事現場等の連続爆破事件から逃亡を続けていた桐島聡容疑者が、先日湘南鎌倉総合病院で警察に見つかりその後死亡したという記事が話題になりました!
今回は、そんな桐島聡容疑者の勤務先が神奈川県にある工務店と話題になっておりそれについて調べて見ました。
内田洋こと桐島聡氏が働いていた藤沢市南部の工務店は、最上工務店である可能性が極めて高いです。
上記の写真は、Nスタの画像と、グーグルマップで調べた画像の比較です。
写真や窓、電信柱が屋根から出ているところを見ても酷似していることわかります。
住所は、公開されていましたが、ここでは割愛させていただきます。
また、この最上工務店の近くには「表札」に名前があったことから、経営者の自宅ではないかと考えられます。
最上工務店
住所:神奈川県藤沢市鵠沼石上3丁目4-7
桐島聡氏が働いていた、藤沢市の最上工務店は住み込みで働けるようです。
40年以上の歴史があるということで、昭和の時代から変わらず令和までやってきたのでしょうか。
メンバー桐島聡容疑者(70)を名乗る男が、「内田洋」という名前を使い、数十年前から神奈川県藤沢市の工務店で、住み込みで働いていたことが28日、捜査関係者への取材で分かった。
「内田洋」で数十年工務店に勤務 桐島容疑者名乗る男、神奈川で:東京新聞 TOKYO Web (tokyo-np.co.jp)
(中略)民間信用調査会社によると、工務店は40年以上前に創業。男が桐島容疑者であれば、偽名で長期にわたって神奈川県内に潜伏していた可能性があり、警視庁公安部は経緯や支援者の有無を調べる。
1980年あたり創業の工務店ということで、地域で信用を得て続いてきた企業なのでしょうか。
そこでばれずに40年間も働けた方法が気になります。社会保険、身分詐称、支援者等々疑惑は深まるばかりですね。
桐島聡容疑者が実際に住んでいた家は後程詳しく紹介しますが、あまりキレイとはいえない家だったようです。
地域住民から桐島聡容疑者とばれずに「内田洋」という名前で長年住み続けており、完全に地域社会に溶け込んでいたようです。
桐島聡容疑者とみられる男性。10年ほど前に撮影されたもので、周囲には「内田洋」と名乗っていた=知人提供(毎日新聞・Yahoo Newsより)
他人の戸籍をのっとって他人になりすまして生きていた?
ホームレスなどが狙って「内田洋」という人間の背乗りをしていた可能性があり、その理由としては、世間との関係性が切れている人が多いため、いなくなってもわからないということがあげられます。
「背乗り」とは、警察用語です。スパイや工作員が活動する手段として、ターゲットとする国の戸籍を乗っ取ることが目的とされています。特に古くから北朝鮮や韓国は、日本に工作員を送り込んでいました。
そもそも、戸籍とは日本国民であることを証明する公文書です。戦後の戸籍法が改正されるまでは、戸籍には親族の記載があり、家系単位で構成されていました。しかし、法律の改正後には、夫婦(親)と子のみで構成され、2世代までしか記録されません。
世界で戸籍制度がある国は、日本・中国・台湾のみです。他の国は、個人の識別番号にて管理されています。現在の日本のマイナンバーに当たり、家族単位での管理は行われていません。
「背乗り」とは?日本人になりすまして不法滞在が可能になる?|エントピ (entertainment-topics.jp)
世間からの反応ですが、多くのネガティブな声がある一方で、「一人親方もいる。工務店で働く全員を身分・出生まで完全に把握するのは難しい」「完全に世間からばれずに働くという方法も世の中には必要なのでは?」「しっかりと更生している人間も中にはいるわけで、そういった人達の受け皿も必要」という一部で工務店に対する肯定的な声もあがっています。
桐島さんは工務店で働き、その間に事件は起こしていません。きっと、自分が起こした罪に対する罪悪感もあったのでしょう。 もう十分に反省していると思います。ご苦労様でした。
Twitterより引用